プロフィール

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・生まれた年 : 1953年

・育った所と今住んでいる所
育ったところは神奈川県藤沢市。海のそばです。
社会人になってからは埼玉在住。茶所です。海が恋しいです。

・仕事
機械の設計をしてます。個人事業。

・プラモデルとの出会い
今になって思えば、小学校に上がったばかりだったと思います。
今は亡き父が、「イ号潜水艦」を買ってきてくれたのが始めてのプラモデルとの出会いでした。
真鍮製のでっかいスクリューの反力を打ち消すために、長い針金に錘をぶら下げていた理由を最近になって気が付きました。
因みにこのスクリューは、当時町のおもちゃやさんによく売られていた汎用品でした。
船首にあるフィンは可動式で、少し下に角度をつけると潜水し、ヨットの帆のように立てた船尾のフィンがブレーキをかけ浮上という自動浮沈式でしたが、その頃は確認できませんでした。
自動浮沈させるほどの大きな池が家の近くにはなかったんですね。


(モデルアート社 モデルスプラスチック ’60より)


それ以降はもうプラモデルの虜です。
親に30円もらっては近所のおもちゃ屋や駄菓子屋で三共のピーナッツシリーズを買い捲っていました。
正に「三丁目の夕日」そのものです。
テレビで日曜日の午前中にやっていた「陸と海と空」はリアルタイムで見ていました。

その頃(小学生の頃)作るものは、サブマリン707などの潜水艦や戦車、飛行機など、ジャンルに関係なく作っていました。
とにかく作ることが楽しくてしょうがなっかたのです。
そしてプラモデルは作って遊ぶものでした。


(モデルアート社 モデルスプラスチック ’60より)



車のプラモデルも例に漏れず、走らせることが主になっていましたが、車のプラモそのものの種類が少なかったせいか、あまりにおもちゃっぽかったせいか、タミヤの1/12が出るまであまり作りませんでした。

中学を卒業する頃からはモーターを乗せない車を追い求めていたと思います。
そのため1/24(25)の車は外国製に憧れていました。
1/12の半分の大きさの車体の中にエンジンが入っていて、足回りもちゃんとできていて、わくわくしたものです。



結婚して子供が出来て、落ち着いて作れる部屋がなくなってからはプラモデル製作からは遠のいてしまいましたが、たまに模型屋で気に入ったものがあると、せっせと買い込んでおりました。
電動ラジコンが流行ればブームに乗り、自作パソコンが流行れば秋葉原通いをし、もうプラモデルは作らないかも・・などと思っているころ、実家を建て替えるということで、そのままななっていた自分の部屋を片付けることになりました。
プラモから離れていた私はろくに確認もせず「全部捨てちゃっていいよ」と、のたまってしまった!

それまでとっておいた作品、これは大したものが無かったのでどうってことないのですが、創刊一桁号から買っていたモデルアート数十冊、タミヤニュースも数十冊捨てちゃった・・・(泣)

残ったものは作っていないプラモだけ、という苦い思い出があります。

今でもモデルアートを見るたびに、その苦い思い出がよみがえります。


昭和50年前後のプラモストック





2006年、仕事を通して知り合ったSさんがプラモデルを作っておりまして、作品を仕事場に飾っていました。
きれいに磨き上げられたその作品を見て、暫く製作から離れていた私もだんだんウズウズしてきました。
その頃、子供も大きくなり部屋も空いたので、じっくりと制作に励むことが出来る環境となっていたことも、再開できた理由の一つです。

それ以後はもうすっかり返り咲きとなりました。
一作々々をじっくりと作っています。


出戻り初作品



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